Art + Culture

追悼 - 渚ようこ In Memoriam: NAGISA Yoko

渚ようこ NAGISA Yoko

新宿ゴールデン街でバー「汀」を開いていた歌手・渚ようこさんは28日にお亡くなりになりました。享年は非公表でした。
先ほど突然の訃報を知り、未だにショックの状態にいます。

去年の11月23日に「花吹雪、シュトルム・ウント・ドラング篇」のリサイタルを感激的に聴きに行った事が昨日のことのように思い出されました。

「新宿に雑多な人たちが放つ熱気が、活動の原動力」と語っていた渚さん。新宿コマ劇場での単独リサイタルから、今年で10年になるところでした。

彼女の出身は山形県。CDデビューした1996年に、DELTA MIRAGEというアート・スペースで、私は初めて彼女と出会いました。ご自分の店を開かれる前には、ゴールデン街の「Baltimore」で良くお目にかかりました。

クールに構えながらも、ほとばしる情熱を感じさせるステージには、世代や性別を超えたファンも多く、クレイジーケンバンドのリーダー横山剣さんや作詞家・阿久悠さんとのコラボレーション企画も打ち出すなど独自の世界を作り上げ、昭和歌謡を誰よりも愛していました。

忘れてはいけないのは、彼女は新宿ゴールデン街のアート・コミュニティを支える方々にとって、中心的な重要人物でした。その彼女が開いた「汀」バーは、もれなく「新宿の梯子酒コース」に含まれていたことは言うまでもありません。

「ゴールデン街の歌姫」と呼ばれた渚さんより「様々な人たちに支えていただいて、今回のリサイタルでは感謝の思いを込めて、私の歌をお届けしたい」。

あまり知られていないですが、社会性や戦争史を考えさせる詩の朗読やパーフォマンスも素晴らしく、渚さんの世界観はストレートに受け入れられました。

人柄もとてもチャーミングでウイットに富むお方でした。まだまだお若い年でお亡くなりになるなんて、この胸は苦しいです。

NAGISA Yoko, The Golden Elegance ゴールデンエレガンス, our Shinjuku Golden Gai’s Diva 新宿ゴールデン街の歌姫, my heart goes out to you, riposa in pace.

心からご冥福をお祈りいたします。

東京、2018年9月30日
亜 真里男



歌手・渚ようこさんが死去 24日にクレイジーケンバンド20周年ライブに出演
2018年09月30日 17時53分

歌手・渚ようこさんが、心不全のため28日午前10時40分、都内の病院で亡くなっていたことが30日分かった。享年非公表。この日、関係者が報道各社へのFAXで発表した。
 24日に横浜アリーナで行われた「クレイジーケンバンドデビュー20周年アニバーサリーライブ」に出演。毎年恒例の「渚ようこリサイタル・2018 ようこズンドコ歌謡流れ旅」(11月30日・四谷)を控えていた。葬儀は家族葬で行い、後日お別れ会を開く予定。同イベントは中止になる。
 渚さんは1996年にデビュー。クレイジーケンバンド横山剣や作詞家・阿久悠さんとのコラボレーションで独自の歌謡世界を構築。2008年には若松孝二監督の映画「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」の劇中歌、10年には写真家の森山大道撮影による写真集「NAGISA」を発表するなど多方面で活躍した。
 10月24日にはクレイジーケンバンドの横山剣作詞、松石ゲル、アレンジによるアナログ7インチ「渚のズンドコ節」をリリースする予定。

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12265-096631/

NAGISA Yoko 渚ようこ「花吹雪、シュトルム・ウント・ドラング篇」
NAGISA Yoko 渚ようこ「花吹雪、シュトルム・ウント・ドラング篇」
渚ようこ「花吹雪、シュトルム・ウント・ドラング篇」
NAGISA Yoko 渚ようこ「花吹雪、シュトルム・ウント・ドラング篇」
渚ようこ・亜 真里男
My heart goes out to NAGISA Yoko 渚ようこ

渚ようこ「どうせ天国へ行ったって」

渚ようこ 「ブルースカイブルー」

渚ようこ×コモエスタ八重樫 – モナムール東

渚ようこ 『舟唄』


2018年10月2日、アップデート

渚ようこ
朝日新聞、2018年10月2日

新宿舞台昭和歌謡愛した 渚ようこさん死去
2018年10月2日 11時03分
 昭和歌謡を愛し、新宿ゴールデン街に小さなバーを開いていた歌手・渚(なぎさ)ようこさん=年齢非公表=が9月28日に心不全のため亡くなった。何かが憑依(ひょう・い)したような歌いぶり。クールに構えながらも、ほとばしる情熱を感じさせるステージには若いファンも多かった。
  
 記者が渚さんから電話で最後に連絡を受けたのは、亡くなる前日の27日昼だ。四谷区民ホールで11月30日に開く、毎年恒例のリサイタルの案内だった。いつもなら雑談もするのだが、元気がない様子だった。「最近は新聞を読む気力すらない」とつぶやいていたのが気になった。
 
 過去を振り返ることを嫌った渚さん。自らの経歴も明らかにすることはほとんどなかった。「山形県から上京した」ということしか知らない。
 
 1996年にCDデビュー。クレイジーケンバンドのリーダー横山剣さんや作詞家・阿久悠さんとコラボレーションし、情念あふれる歌謡世界を再現した。「世の中は清潔志向だが、新宿には雑多なエネルギーがまだあふれている、それが私の原動力」と新宿にこだわり、2003年、ゴールデン街に10席ほどのカウンターバー「汀(なぎさ)」を開店。08年には、閉館となる新宿コマ劇場で単独の「新宿ゲバゲバリサイタル」を開き、話題を呼んだ。

 関係者によると、9月24日に横浜アリーナで行われたクレイジーケンバンドのデビュー20周年記念公演にゲスト出演したのが最後のステージに。10月24日にはニューシングル「渚のズンドコ節」をリリースすることが決まっていた。

 「藤圭子のような歌手になりたい」と語っていた渚さん。2013年夏、藤の突然の悲報を受けてこんなことを話していた。

 「歌を歌う人って、すごく紙一重のところがあると思います。だから、そのぎりぎりのところを越えてあちら側にいっちゃったんだなと思いました」

 芸能やマスコミ関係者、作家やミュージシャンらが集う店として夜ごとにぎわったバー「汀」。昭和歌謡を知らない若い客も多かった。常連の大手レコード会社のプロデューサー(51)は「歌の行間から負の叫びをうたった鬼才。新宿という風景を背負ってもいた。その一方で明るいポップス調の歌も見事に歌った。これからの活躍が期待されていただけに残念です」と話す。
 
 来年2月にお別れの会が開かれる予定だという。

 (編集委員・小泉信一)

https://www.asahi.com/articles/CMTW1810021300002.html

渚ようこ、朝日新聞夕刊、2018年11月10日
渚ようこ、朝日新聞夕刊、2018年11月10日

cccs photo/screenshot courtesy creative common sense