ポール・ゴーギャン GAUGUIN, Paul
アーティスト artist 1888年、ゴーギャンは、南仏アルルに移っていたゴッホの「黄色い家」で、9週間にわたる共同生活を送った。しかし、2人の関係は次第に悪化し、ゴーギャンはここを去ることとした。12月23日の夜、ゴッホが耳を切る事件が発生した。ゴーギャンの後年の回想によると、ゴッホがゴーギャンに対しカミソリを持って向かってくるという出来事があり、同じ日の夜、ゴッホが左耳を切り、これを新聞に包んでラシェルという名の娼婦に手渡したのだという。翌日、ゴッホはアルルの病院に送られ、ゴーギャンはアルルを去った。2人はその後二度と会うことはなかったが、手紙のやり取りは続け、ゴーギャンは、1890年、アントウェルペンにアトリエを設けようという提案までしている。 ゴーギャンは、後に、アルルでゴッホに画家としての成長をもたらしたのは自分だと主張している。ゴッホ自身は、『エッテンの庭の想い出』で、想像に基づいて描くというゴーギャンの理論を試してみたことはあったものの、ゴッホには合わず、自然をモデルに描くという方法にすぐに回帰している。
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