日本画を拒否した画家:桑山忠明の構造クールネス @ タカ・イシイギャラリー 東京 The Painter Who Rejected Nihonga: KUWAYAMA Tadaaki’s Coolness in Structure @ Taka Ishii Gallery Tokyo
22 August 2023
Two months ago, I had the privilege to discover one of his earlier works from 1961, see the newly attached 2 pics. Wondered if late Brice Marden had been influenced by him.
Extraordinary, U.S. artist with Japanese roots, KUWAYAMA Tadaaki 桑山忠明 1932-2023. RIP.
Up-dated:
名古屋生まれ、桑山忠明(くわやま ただあき)は日本系、米国のアーティスト、抽象画家でした(1932年〜2023年)。 1956年東京藝術大学美術学部絵画科卒業。その2年後に渡米し、以来米国に在住。桑山はそこで、学んだコンセプトを米国美術の前衛的な影響と融合させ始めた。1961年には早くもニューヨークで最初の個展を開いている。 桑山は「ミニマル・アート」や「オプ・アート」を思わせる緊張感のあるモノクロームの絵画を制作。デフォルメされたキャンバス壁も使用。近年は、ケミカルカラーを用いた人工的な色彩の拡張を試みていた。
KUWAYAMA Tadaaki (1932-2023) was a U.S. artist with Japanese roots. Born in Nagoya, graduated in painting from Tokyo University of the Arts in 1956. Two years later he went to the USA and had lived there ever since. He began to combine his learned concepts with the avant-garde influences of American art; first solo exhibition in New York as early as 1961. Kuwayama created monochrome paintings with a sense of tension reminiscent of “Minimal Art” or “Op Art”. He also used deformed canvas walls. In recent years, he strived for extended artificial colorfulness with chemical colors.
Last year KUWAYAMA Tadaaki 桑山忠明 caught my eye with a “vintage” work from 1968 at the THE MAYOR GALLERY booth in ART BASEL Switzerland. His running solo show at Taka Ishii Gallery, Tokyo, reconfirms the stoicism in the execution of his newly created body of works, “western”-art-historically contextualized in the cool spirit of minimalism.
Kuwayama, timeless per se, avoiding metaphorical or emotional content, preferring anonymity over the expressive excess of being a unique Japanese artist, an artist with Nihonga-roots, or, what we see too often in Japan, emphasizing his “Japanese cultural identity” in the artistic practice.
I wonder what Kuwayama, who knows the ‘American’ art scene from inside, has to say about the actual hype and terminus of “black art” or “black artist”, which would be counter-productive in the world of minimal art.
Already in 1964, Kuwayama proclaimed: “Ideas, thoughts, philosophy, reasons, meanings, even the humanity of the artist, do not enter into my work at all. There is only the art itself. That is all.”
Tadaaki Kuwayama, Art in America, August issue, 1964(vol. 52, no.4)p. 100
Last, let’s chisel in plaster the statement by Robert Morris, founder of Minimalism, who passed away 3 weeks ago:
“What came to be defined as Minimalism was a critical form of Modernism that had been building since analytic Cubism.
…
Underlying their superficially reductive works, all embraced strategic moves that restricted the parameters of art making; withdrawing expression in favor of systems to automate and animate art making. Call this Agency Reduction in which the artist did less and less. Chance, indeterminacy, rules and other normative procedures substituted for the artists’ handwork. The objects shown in Primary Structures were only one aspect of a long historical passage.”
Any questions? — “Next question, please.” 次の質問どうぞ.
Tokyo, Heisei 30, December 16th.
A
Tadaaki Kuwayama 桑山忠明 @ Taka Ishii Gallery Tokyo
2018/11/22-12/22
http://www.takaishiigallery.com/en/archives/24608/
ART BASEL Switzerland 2017, THE MAYOR GALLERY booth
up-dates:
Tadaaki Kuwayama: interview | Mayor Gallery, London | 6 June 2017
Studio Visit: Tadaaki Kuwayama and Rakuko Naito
日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
桑山忠明インタヴュー 2009年2月11日
ニューヨーク、桑山忠明スタジオにて
インタヴュアー:富井玲子、池上裕子
書き起こし:礒谷有亮
引用:
桑山:グリーン・ギャラリーじゃなくて。マディソン・アヴェニューの81丁目のとこに、ディックがオフィスを持ってて。そこの画廊を借りて、彼がそういう企画のショウをやった。彼はその後すぐ死んじゃったんですよ。
池上:確か67年に亡くなってますよね。じゃあ67年のグループ・ショウ。
桑山:ええ。その死ぬ前の最後のラインハートのショウ、ってのは、僕一緒にやったんですよ。その時僕が出したのがこの赤いのだった。最初期の。
富井:これ(《赤》、1961年)ですか。
桑山:(内藤に尋ねて)たしかこれだよな? あの時のは。
内藤:(頷く)
桑山:それからラインハートの黒いのと。
池上:ちょうどやっぱりその頃にこういう色面絵画みたいなものがミニマリズムの文脈の中で再評価されてきた時期かな、と思うんですけども。
桑山:そうなんでしょうね。でも実際僕が作った時はもう全然(笑)。この作品はね、今グッゲンハイムに掛かってるこれ(《Untitled》、1962年、白い紙テープの作品)あるでしょ。これはすごく、僕のステイトメントとして、あの頃すごくしたかったことであるし、すごく自分ではクリアなんですよ、あれ。あれはニューヨークでもショウをしたし、日本でもこの時出したし、事あると僕はあれを出したいわけ。だけど今までずっと無視された作品でした(笑)。
富井:私は桑山さんのあれが掛かってたのでね、桑山さんご自身、まあアレクサンドラ(・モンロー Alexandra Munroe)がキュレーターとして選んだ、という事情は置いて、「桑山さんとしてはあの作品でよかったんですか」、という質問は一応用意してたんですけども。じゃあ、あの作品「が」よかったわけですね。
桑山:というよりね、選んだのはもちろんアレクサンドラが選んで。僕はあれって言われた時に、普通だと、新しいもの、今やってるものを、と思うでしょ。でもあれを言われた時に、「ああ、あれでよかった」と思った。日の目を浴びるっていうの。
富井:あれは歴史的な展覧会なので、今の作品というよりはやっぱり当時の作品、60年代に最初に出てこられた時の作品っていうのは、それはわかってたんですけども。でも特にあれっていうのは結構びっくりしたのでね。じゃあ、あれはお手持ちだったんですか。
桑山:そうです。だから今までも何回見せたって全然だった作品です(笑)。
富井:ああ、誰も買っていないということですか。
桑山:誰も何も無視。ずっと無視されたんです。何回も見せたんですよあれ、画廊で。だけど別に、何にも反響もなかった。あれは。
富井:だってあれはやっぱり見た時びっくりしましたから、今回(笑)。あの周りにあった真っ黒な作品とか、アン・トゥルーイット(Anne Truitt)とか並んでましたけど、あれは基本的には色面絵画の延長というか。あるいはその原型みたいなところで。
桑山:そうですね。
富井:もちろん私の理解の中では、桑山さんのお仕事っていうのは、その早い例として考えていたわけなんですけども、それよりももっと斬新なあのテープの表現が出てきましたので、非常にびっくりしたので。じゃあ彼女が選んだというのも目があった、ということの他に、桑山さんがやっぱり、一生懸命そういう形で思い入れのあったものだ、ということが理解できましたね。じゃあ何年経ってるのかな。45年ぐらい経っちゃってるんですか。45年以上経ってますね。今回作られたっていうことは。
桑山:経ってますね。それでね、金沢(21世紀美術館)ですか。あそこは「全部材料日本で作ってほしい」、って言うんですよ。日本製の材料で。日本って今すごい景気悪いでしょ。予算があるかないかって、しょっちゅう言われるわけ。こっちから送るのはどう、とかさ、日本で作るのは本当にその間際になって。「予算がないから」って言われた時に手持ちの自分の作品がない、ってのはすごく嫌じゃない。だからもし駄目な時でも、ショウをするだけの作品を手で持っていたい、と思ったわけ。で、あれ始めたわけ。すごい苦労して。去年の夏からかな。夏から、ちょうど去年の末ごろまでに出来上がったんですよ(笑)。
富井:どうでしたか、40年以上ぶりに作られて。あれ結構大変じゃないかな、と思うんですけど。
桑山:大変ですよ。
富井:紙をまずピンと張ってないといけないし。あと、微妙に角度をつけて、重ねていかれますよね。
桑山:あれ8点作ったんです。こう並べるように。掛ける。そうすると、美術館でもかなりのスペースいくでしょ。
内藤:16点作ったんじゃない。8点と8点。
桑山:8点と8点作ったわけ。一つは二つパネルで、真ん中にラインがあって。一つは何にもないやつ。両側に掛けるだけ。それをしたかったわけ。
富井:それでほとんど壁、画廊全部、ギャラリーの部屋が全部埋まるという形ですね。
桑山:そうそう。美術館の一つの部屋を。白い部分、ってのを作りたかったわけ。それとやっぱり手持ちのそういうものがないと。あれだけは手作りでないとできないんですよ。
富井:そうですよね。ご自分で作らないとあれだけは。では、アルミのオブジェですが。発注は日本でも。これは日本で作っておられるんですか。
桑山:これは日本です。
富井:じゃあ日本でできるわけですけれども。なるほど。
桑山:それでそれを作り出して、途中ぐらいで大阪の山口(ギャラリー山口)さんいますよね。彼が美術館との間のインヴォルヴ(involve、交渉)してくれて。彼から2ヶ月ぐらい前、電話があった時に、「全部日本で作るっていうことでしたい」、って言われて。
内藤:2ヶ月も経ってないでしょ、まだ。
桑山:1ヵ月ぐらいか。で、チタニウムで作るんですよ、今度は。だから色々楽しみは楽しみなんですけど、日本っていつ駄目になるかわからんじゃないですか、何でも。
富井:そうなんですか。それは私わからないですが(笑)。
桑山:僕もよくわからんのだけど。
池上:金沢は大丈夫だと思いますけど(笑)。
桑山:大丈夫?
池上:はい(笑)。
桑山:だから心配だったわけ、これ。
富井:これはちょっと台形になったやつをなさるわけですか。
桑山:いや、こういう壁に掛けるやつを。チタニウムで。天井が高いですから、もっと大きなもの作りたいんですよ。
富井:最近は結構日本が多いですね。最近日本でそういう大きいインスタレーションのような仕事を随分なさってるんじゃないですか。
桑山:そうですね。
富井:じゃあ最後に一つ。これ皆さんによく聞いてるんですけども。長年、随分長い間作家活動をされてきて、それで食べていらっしゃったわけですし(笑)。一番ご自分で大切にしてきたこと、って言うんでしょうかね。大切に考えてきたようなことが何かあれば教えていただきたいんですが。
桑山:大切にしてきたこと、ってのはやっぱり、どう言うかな。(しばらく考えて)アートに対する、思想みたいなものですか、作家の。そういうものは歪めたくない、っていう。
富井:それは言葉で言うわけじゃなくって。
桑山:言葉で言うわけじゃなくて。ええ。
富井:作品の中で示されるということですか。
桑山:作品の中というより、自分自身の中で。
富井・池上:ありがとうございました。
full interview:
https://oralarthistory.org/archives/kuwayama_tadaaki/print_01.php
Art Basel was live.
December 17, 2020 at 11:00 AM
WATCH NOW: 50 Years of Art Basel: the 2010s
Emi Eu, executive director of STPI – Creative Workshop & Gallery, joins Tokyo gallerist Takayuki Ishii and Elaine Ng, editor and publisher of ArtAsiaPacific, in a conversation moderated by Marc Spiegler.
https://www.facebook.com/artbasel/videos/421056422368680