2012年3月3日、追悼 ー 田中三蔵 (過去サイト・アーカイブの再投稿) 2012/3/3, ‘In Memoriam TANAKA Sanzo’ (repost from the archive)
2012年3月3日のARTiT 公式ブログから ART+CULTUREに移動するエントリー。
“In Memoriam TANAKA Sanzo” (3rd of March, 2012) repost from my former, now defunct, official ARTiT blog to ART+CULTURE.
Mr. Tanaka was an important art journalist, being employed by the Asahi Newspaper from 1974 to 2012.
Between 1991 and 1993 he gave me a regular column, called “sono toki その時” on the arts section of the week-end edition. A decisive collaboration which influenced positively the local art scene, and later, my future work & life as an artist in Japan.
元朝日新聞編集委員で、長年美術担当をされていた田中三蔵記者が2月27日に膵臓ガンで死去されました。享年63歳でした。
今日突然知ったニュースに、私の言葉は出ず、悲しい時期に入ります。
私は、1991年から93年にかけて、ほぼ毎日のように、田中三蔵さんと一緒に日本現代美術の文脈で仕事をしました。92年からは、朝日新聞毎週土曜の文化面で「その時」という連載を持ちました。そこでは、日本美術家達のアトリエにお邪魔し、彼らの仕事現場をリラックスムードで写真に収め、インタビューを短くまとめた文章で紹介させていただきました。
このコラムが日本のアート界に、朝日新聞学芸部の新しい姿勢として高く評価され、嬉しく思いました。非常に意味深い仕事をさせていただき、心から感謝しています。 また、外国の目線から見た日本現代美術界の違和感や齟齬を、ある程度強調できたとも思っています。 日本の現代美術史を一から教えていただいた田中三蔵さんの影響力で、私は「日本」のアーティストになれた事も確かです。
頭を下げて、とても深い感謝とともに、心からご冥福をお祈りいたします。
Dear Tanaka-san, I will miss you. R.I.P.