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ドナルド・キーンと三島由紀夫、運命論の関係性 Donald Keene and Yukio Mishima, a fatalistic relationship

ドナルド・キーン Donald Keene 鬼怒鳴門

Magical pink ceiling in Tokyo’s sky. Cherry blossoms in full bloom in Aoyama Cemetery, the oldest, most exclusive, public cemetery with a large foreign section. Today we said a final goodbye to famed literature expert Donald Keene at his public funeral, conducted in Buddhist-style 仏教, the social norm in Japan. Directly under Keene’s photograph, in the center, – the envelope for condolence donation 祭粢料 (Saishiryo) by the Japanese Emperor (Tenno-heika) 天皇陛下 had been prominently exhibited. In this context I bowed in front of the ceremonial envelope of the Tenno 天皇, the highest authority of the SHINTO 神道 religion. A strange feeling, as I wanted to bow in front of Donald Keene and not the Japanese Emperor. One important, crucial experience to understand the Tenno’s role in contemporary Japan.

I had the opportunity in meeting highly respected Mr. Keene on several occasions, one was in 1990, during the International Book Fair in Frankfurt, where my anthology about Contemporary Japanese Literature (Momentaufnahmen moderner japanischer Literatur 現代日本文学, 34 novelists, from IBUSE Masuji 井伏鱒二 to YOSHIMOTO Banana 吉本ばなな) had been promoted by my German publisher.
At that time I realized a kind of generational gap between Mr. Keene and me. He probably noticed, that my new book surpassed his work. He never showed interest towards novelists like SATA Ineko 佐多稲子, NOMA Hiroshi 野間宏, NAKAGAMI Kenji 中上健次, TSUSHIMA Yuko 津島佑子, MURAKAMI Ryu 村上龍, MURAKAMI Haruki 村上春樹 or SHIMADA Masahiko 島田雅彦.

With profound interest I later read about Keene’s influence (involving betrayal of trust) on MISHIMA Yukio 三島由紀夫, who shockingly ‘lost’ against his early mentor KAWABATA Yasunari 川端康成 regarding the Nobel Prize in Literature.

ドナルド・キーン Donald Keene と 三島由紀夫 Yukio Mishima 昭和39 Showa 39
ドナルド・キーン Donald Keene と 三島由紀夫 Yukio Mishima、昭和39 Showa 39

(1)
「様々な意見や批評がある中で、結果的に川端がどのような評価を受けて受賞に 到ったかを、幾つかの視点から考察したが、公開された物の内最新資料(1963 年)からアカデミーは、「日本文学の専門家」2名に日本文学に対する評価を依 頼していたことが分かった。その2名とは、ドナルド・キーン教授(ニューヨー ク コロンビア大学╱日本語学科教授)と、エドワード・サイデンステッカー氏 (三島╱川端文学の翻訳者)であった。」

「三島文学の翻訳者であった、ドナルド・キーンが当時の日本文学専門家であったことは非常に興味深い。しかし何故、ドナルド・キーンは三島ではなく川端を強く支持したのか、を今後の研究の一つに加えたい。」

川端康成とノーベル文学賞
スウェーデンアカデミー所蔵の選考資料をめぐって
大木ひさよ
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/KG/0021/KG00210L042.pdf

(2)
“He was an extraordinary person,” says Keene, who knew Mishima well. They had met, symbolically enough, outside Tokyo’s Kabuki-za theatre in 1954, and had gone to see plays together. Keene had translated one of Mishima’s modern Noh plays.
“He died, as you know, at the age of 45, leaving at least 45 stacked volumes of novels, plays, criticism, poetry.” Mishima slit his belly after leading a failed, and farcical, coup to restore the emperor’s power but Keene thinks he committed suicide because he was passed over for the Nobel Prize. During the 1964 Tokyo Olympics, Mishima had written Keene a letter with the line, “I envy the athletes who know if they are first, second or third.” Keene says: “That was all he said but I knew exactly what he meant.”
From: ‘Lunch with the FT: Donald Keene’
By David Pilling OCTOBER 29, 2011, Financial Times
https://www.ft.com/content/9a0ebac8-00f5-11e1-8590-00144feabdc0

Today’s Literati at the public memorial probably remembered the crucial, ‘deadly’ relationship between Mishima and Keene as well.
In 2008, Keene became the first foreigner to receive the Order of Culture 文化勲章受章 from the Japanese government, in recognition of his contribution to literature. Therefore the envelope for condolence donation 祭粢料 (Saishiryo) by the Japanese Emperor (Tenno-heika) 天皇陛下.

Japanese Emperor 天皇陛下 と ドナルド・キーン Donald Keene、平成20 Heisei 20
Japanese Emperor 天皇陛下 と ドナルド・キーン Donald Keene、平成20 Heisei 20

Keene became a Japanese citizen in 2012 after he moved to Tokyo, and adopted a Japanese man, Seiki Keene, as his son and heir in 2013, see the charming cover picture.
Dear KEENE Donald 鬼怒鳴門, I loved the Italian music which had been chosen for your funeral: “Vissi d’Arte”. It supposed to be my music during my future funeral at ‘Aoyama Bochi’ 青山墓地. Riposa in Pace.
Tokyo, Heisei 31, April 10th
Mario A 亜 真里男

ドナルド・キーン 鬼怒鳴門 Donald Keene
故ドナルド・キーンのお別れ会
美し国ぞ あきづしま 大和の国は ドナルド・キーン 鬼怒鳴門
「美し国ぞ あきづしま 大和の国は」 ドナルド・キーン 鬼怒鳴門
ドナルド・キーン 鬼怒鳴門
The Japanese KEENE Donald 日本人 鬼怒鳴門
The Japanese KEENE Donald 日本人 鬼怒鳴門

アップデート up-date, today’s news articles

Screenshot from today’s Sankei
Screenshot from today’s Sankei

キーンさんお別れの会に1500人「父の喜びの雨だと」
Asahi Shimbun 朝日新聞 中村真理子 2019年4月10日
quote:
2月24日に96歳で亡くなった日本文学者、ドナルド・キーンさんのお別れの会が10日、東京都港区の青山葬儀所で開かれ、1500人が参列した。冷たい春雨の中、キーンさんが愛したオペラが流れ、枝垂れ桜と笹(ささ)竹が飾られた会場で和やかに献花が行われた。
親交のあった小説家、平野啓一郎さんは「キーンさんの日本文学の読解に、源氏物語という日本文学の精髄と、戦場で一兵士がつづった生々しい日記の両方があったことは重要でした。

 喪主で養子の誠己(せいき)さんは「父は日本の雨が大好きでした。きょうのような日は窓から外を見て『雨で緑の葉が洗われて美しい』と言っていた。この雨は悲しみの雨ではない、父の喜びの雨だと思います。平和を愛し、戦争が大嫌いな父でした。自分の希望通り、夢に描いた通り、日本の土になりました」と話した。(中村真理子)
full text, with photographs, see
https://www.asahi.com/articles/ASM4B4V66M4BUCVL00Y.html

「キーン先生」との別れ惜しむ 教え子、友人ら参列
Sankei 2019.4.10
quotes:
 祭壇の遺影は平成28年に撮影された笑顔の一枚。枝垂れ桜など4000本の花で飾られ、参列者はキーンさんが生前好きだったという黄色のカーネーションを献花した。「鬼怒鳴門」はキーンさんの雅号で、平成23年の東日本大震災後、日本への帰化・永住にあたり公表した。
 「大正11(1922)年生まれの先生は、昭和と平成、2つの時代の全てを見てきました。戦時中から日本人を敵ではなく、友達になれる人間として考えていた先生は、戦後日本の歩みを見守っただけではなく、日本語での執筆や講演によりその歩みに自ら貢献し、翻訳を通じて世界の日本文学研究の発展に尽力しました」

 喪主を務めた養子のキーン誠己さんは、「本日はあいにくの雨ですが、父はこういう日本の雨の日が『気持ちが良い。美しい』と大好きでした。この雨は父の悲しみの雨ではなく、喜びの雨だと思います」とあいさつ。「夢に描いていたとおり、父は日本の土になりました。ですが、父の著作を読めば父と語りあえるし、何か答えを見いだすことができます。父は皆さんのそばに永遠にいると思います」と語りかけた。
full text with photographs at:
https://www.sankei.com/life/news/190410/lif1904100019-n1.html

ドナルド・キーンさん「お別れの会」
Mainichi 毎日新聞 2019年4月10日
quote:
開会に先立ち、高円宮妃久子さまが献花された。参列者全員で黙とうした後、米ニューヨークから駆けつけたコロンビア大ドナルド・キーン日本文化センターのデビッド・ルーリー所長や、公私にわたって長年親交のあった鳥越文蔵・早大演劇博物館元館長(代読)、幾度も対談した作家の平野啓一郎さんら4人がお別れの言葉を述べて追悼。数百人を超す参列者が次々と献花し、故人に別れを告げていた。【中澤雄大/統合デジタル取材センター】
full text with photographs:
https://mainichi.jp/articles/20190410/k00/00m/040/110000c

DONALD KEENE: ON FAMILIAR TERMS
By Colin Marshall, October 11, 2010
quote:
The sexual neutrality Keene puts across in his writing about himself feels so deliberate that it backfires, drawing close attention to the very thing it excises. I have to assume, on his part, either complete asexuality or some variety of closetedness. Certainly the latter is more plausible, especially given what Keene’s peer Donald Richie called “the strange prevalence of people of like preferences among foreign Japanese specialists” of their generation. Indeed, Keene’s contrast with the liberated Richie, who’s written at least one entire unpublished manuscript on his Japanese homosexual encounters alone, could hardly be starker.
https://colinmarshall.typepad.com/blog/2010/10/donald-keene-on-familiar-terms.html

ドナルド・キーン Donald Keene 朝日新聞 平成31年2月25日
ドナルド・キーン Donald Keene 朝日新聞 平成31年2月25日
朝日新聞 平成31年2月25日 ドナルド・キーン Donald Keene
朝日新聞 平成31年2月25日 ドナルド・キーン Donald Keene
朝日新聞 平成31年2月25日 ドナルド・キーン Donald Keene 朝日新聞 平成31年2月25日
ドナルド・キーン Donald Keene 朝日新聞 平成31年2月25日
ドナルド・キーンさんのお別れの会の思い出
ドナルド・キーンさんのお別れの会の思い出
ドナルド・キーン 鬼怒鳴門 略歴
ドナルド・キーン 鬼怒鳴門 略歴 Donald Keene’s biography in Japanese
60年代を注目
60年代を注目 How the 60’s had been documented in this biography

2019/10/1 up-date:

ドナルド・キーンさんの秘めたメッセージ
2019年9月30日

「地震や津波、原発事故があっても日本人が落ち着いていたことに感心しました。日本人が好きです。日本人として死にたい」
そう言って、日本人になった日本文学の研究者、ドナルド・キーンさんには伝えたいことがありました。生涯にわたって日本を愛したキーンさんの秘めたメッセージです。

Donald Keene @ NHK screenshot

quotes:
ドナルド・キーンさんは東日本大震災の翌年の2012年、日本に移住し、日本国籍を取得。「鬼怒鳴門」(キーン・ドナルド)という漢字の名前も披露、日本人になりました。震災と原発事故で苦しんでいた日本人を勇気づけました。
キーンさん:「地震や津波、原発事故があっても日本人が落ち着いていたことに感心しました。日本人が好きです。日本人として死にたい」

quote:
“日本への愛を語ったときしか聞いてくれない”

ところが日本国籍取得には別の側面もあったことが、今回、イノウエ教授の証言で分かりました。

キーンさんはイノウエ教授に、外国人としてではなく、日本人として内側から意見することで覚悟を持ってメッセージを伝えたかったと打ち明けていたといいます。

イノウエ教授:「キーンさんはずっと日本のよいところを語ってきたわけなんですけれども、いまになって、もう少し、悪いところも言わなければならないけれど、アメリカ人として言うのはつらくて、できないと。愛する日本を外国人として批判するのではなく、日本人として苦言を呈したかったんです」

しかし…。

「あなたが言うように、もっと伝わるようにやれればよいのだけど、私が懸念しているのは、日本人は私がいかに日本を愛しているかを語ったときしか、耳を傾けてくれないことだ」(2014年1月14日)

「キーンさんは日本が平和であるために、日本人は日本文学をもっと真剣にとらえないといけないと何度も話していました。日本人が何者であるのか、どこから来たのか、心情を理解するのに文学作品を読まないといけないが、若い人があまり本を読まないのを悲しんでいました。キーンさんは自分のキャリアを作ってくれた日本の人たちに心から感謝していたし、日本への批判も深い愛から来るものでした」

日本人として責任を持って意見をする、その覚悟を持って、日本国籍を取ったというドナルド・キーンさん。その覚悟、そこまでして伝えたかったことに私たちは応えられているだろうか、取材中、何度も考えさせられました。

最後にキーンさんがつづっていたメールから2つ、言葉を紹介します。

「自虐的な日本人に“なぜ日本のような国に人生をささげるのか”と聞かれるが、心から、“日本の人々がいるからだ”と答える」(2014年2月26日)

「立場や考え方が違っても、話せば何か解決策に到達することができるはずだ」(2014年1月25日)

full text at:
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190930/k10012105521000.html