亜 真里男「風花 wunderBAR」 Mario A "KAZAHANA wunderBAR"
風花の誕生から43年。その中で、33年間飲み仲間…wow…として過ごしてきた。 日本の文化のベクトルを定め、影響を与える東京の「施設」、風花。そんな数多くの多彩な主人公の一人になれて光栄に思っています。
私は日本での40年間で、純文学の小説家のための文化の橋を築くことができました。井伏鱒二、野間宏、大江健三郎、津島佑子、中上健次、古井由吉、村上龍+春樹、島田雅彦、吉本ばなな、多和田葉子などなど、名前を挙げるときりがない。
また、私は「日本現代アート透明賞」(JCATP)を設立しました。美術批評家 市原研太郎をして「マリオ・A 永久革命家としての日本のアーティスト」と言わしめ、そして、その進化の過程でNo.1現代アート・ブロガーに。
「風花 wunderBAR」はKIKUKOさん、aka MoonSoonさん、と一緒に制作した、純文学的で、重層的で、洒脱で、ソフィスティケイティドな、間違いなく高い芸術的センスを持つ、こちらの新作品群です。
Nessun maggior dolore che ricordarsi del tempo felice nella miseria。
風花の紀久子さまに、尊敬と憧れと愛を込めて、真剣に、誠実に捧げます。
新宿、令和5年3月1日
亜 真里男
◆「風花 wunderBAR」
2023年3月1日〜15日
12:00〜18:00(日休)
12-18時のあいだは、ご希望の方にはワンドリンク1,000円にて、お飲み物(おつまみ付き)をご提供いたします。
また、Mario & MoonSoonも18時以降は飲む予定ですので、18時以降もバーとして上記料金にてご利用いただきながらご鑑賞いただけます。
※ 風花の通常の営業時間20時ごろ以降は別途チャージ料金がかかります。
風花
営業時間:20時〜 (日休)
東京都新宿区新宿5-11-23
新宿3丁目駅C7出口より徒歩4分
◆プロフィール
・亜 真里男 Mario A
日本のアーティスト、ネオ・ジャポニスム アーティスト
1959年バーデン・スイス生まれ。ベルリン美術大学中退後、ベルリン大学修士修了。ベルリン芸術アカデミー(ドイツ)、チューリッヒ・リートベルク美術館(スイス)、アムステルフェーン・モダーンアーツ美術館(オランダ)、東京都現代美術館他で作品発表。
作品集:「Prélude à la Japonaise」松浦理英子 (文) 1996年、「F THE GEISHA」多和田葉子 (文) 1999年、「ma poupée japonaise」島田雅彦 (文) 2001年、「マリオ・A 日本美術家」市原研太郎 (解説) 2004年、「The World Is Beautiful」2006年、「The situation is under control」市原研太郎 (解説) 2016年、「néo japonisme 1996-2019」2019年、他多数
https://marioa.com
・朴文順 MoonSoon Park
1974 年、愛知県生まれ。在日コリアン3世。
早稲田大学第一文学部卒業後、新宿のバー風花のカウンターに立つこと10年。合間あいまに世界を旅する。
早稲田文学編集室、多摩美術大学芸術人類学特別研究員、日中韓文学フォーラム事務局などを経て、Passion, Fun, Wisdom を求め、2022年に Varieté MoonSoon を発足。
https://varietemoonsoon.com/
・風花
1980年創業のバー。開店にあたって、同じ新宿5丁目に1961年からある「風紋」から一字をいただいたという。作家や編集者など出版関係者、美術関係者が多く訪れる店となる。 2000年の秋に古井由吉氏が後輩の作家らに呼びかけ、古井氏がホスト役を務め、ゲストの 作家を招いての自作朗読会を年に3回開催。2019年まで全30回にわたり続けられた。古井氏の逝去後も島田雅彦氏らが中心となり、現在も不定期で開催されている。
風花 wunderBAR
Mario A、Mario Ambrosius、亜 真里男……あなたはいくつもの名前を持つけれど、人生の先輩であるあなたのことを、出逢ったときからずっとマリオさん、と呼んできた。だけど、いまは「マリオ」と呼んでいる。
マリオとわたしには共通点がいくつかある。
わたしたちの名前は M からはじまる。
芸術を信頼している。
この国においてエイリアンであるということ。
そして、わたしたちは風花で出逢った。
マリオとわたしのちがいは、マリオはイタリア人でドイツ人で日本人だと自身のことを定義しているように感じられるけれど、わたしはじぶんのことを韓国人とも日本人とも思っていないことだ。
それは決定的なちがいのようだが、鏡のようでもあると感じる。
わたしの右目はあなたの左目で、腕の傷は反対側にあり、わたしが左に首を傾げるとあなたは右に傾げている。際限なく近づけるような気になるけれど、けして交わらない。
20代のころ、よくマリオに写真を撮ってもらった。
と言っても、わたしは主役ではなく、マリオには「MOMENTAUFNAHMEN MODERNER JAPANISCHER LITERATUR (現代日本文学)」というドイツで出版された作品集があり、その延長線上にあるような、古井由吉氏がホストを務め、毎回ゲストの作家を招く、風花での朗読会をマリオは記録していた。わたしはそのなかにバイプレイヤーとして幾度か登場したに過ぎない。
四十年以上の歴史のある風花で、わたしは若いころ、約十年間カウンターのなかにいた。
わたしは、じぶんには故郷がないと感じている。国籍は韓国で、生まれ育ったのは日本だけれど、世界のどこにもじぶんの居場所はないと思っていた。生家からもとにかく離れたくて、大学進学を理由に東京に出てきた。じぶんはどこに居ても異邦人なのだと自認しながら、大学を卒業しても就職もせずにお金を貯めては世界を放浪していた。
そんなときに、風花に拾ってもらった。毎晩、カウンター越しに文学や美術や映 画や政治について議論のシャワーを浴びた。
風花はわたしにとって学校だったし、居場所のないわたしの home だった。そして風花の店主である紀久子さんはわたしのもうひとりの母だ。
マリオの写真はわたしにとってはとくべつで、なかでも、朗読を終えた津島佑子氏が、とてもリラックスした様子で、自然な笑顔でわたしとふたりでいるところを収めてくれた一枚を、わたしはながらく自宅のデスクの前に飾っていた。額装はせず、カレンダーや映画のチケットと並べて、剝き身のままのモノクロのプリントを鋲で刺していた。そんなふうに身近に置いておきたかった。
まるで強迫観念のように I am alive.と、じぶんに言い聞かせているけれど、生はみずからの意思によるものではない。
ありとあらゆる生が、みずからの意思とは無関係だ。わたしは日本に外国人の女として生を受けた。これははっきり言って受難だ。女と生まれたからには誰かの「娘」であるのだが、太宰治の娘であることほどの受難があろうか。じぶんがなぜこうした受難を蒙るのかという思いを抱く思春期に、津島佑子の作品はわたしにとってシンパシーを超えて信仰に似たものだった。
津島さんが亡くなり、葬儀にも参列したけれど、わたしは所在なかった。津島佑子になりたかったわけではない。彼女の、社会への眼差しはとても厳しく、その厳しさに惹かれたのも事実だけれど、やはり、とても難しいひとだとも感じていた。けれど、マリオの写真のなかにいる津島さんはとても自然に微笑んでいた。こんな表情を引き出せるひとを、わたしはマリオ以外に知らない。葬儀からしばらくして、いつも身近にあったその写真をスキャンしてマリオに送ると、マリオは、この鋲の穴が愛おしい、ここにきみの愛を感じる、と言った。
あなたの言うとおり、そのちいさな穴にはわたしの愛があった。
マリオとはながらく直接会っていなかったのだけれど、こうしてときどき連絡を取っていた。
世界的に流行する感染症には、文学のなかで出逢った。
カミュ、ポー、メルヴィル、ダニエル・デフォー、ガルシア゠マルケス、あるいは、もっと遡って「カンタベリ物語」や「源氏物語」……。まさかじぶんが生きている時代にこうした感染症の世界を経験するとは思っていなかった。
触れ合うことを禁じられるようなパンデミックの世界を経験して、ひとは「触れる」ことを求めていることを自覚する。この感染症は、罹患したひとが二週間誰にも会わなければ死に絶えるのだ。なのに、発生からもう三年以上経っても消滅していない。ひとはひとりでは生きられないのだ、とウイルスが教えてくれている気がする。
二重国籍が認められない日本。マリオがパンデミックの最中に仕事の関係でヨーロッパに行ってきている間、日本政府は日本の永住権を持つマリオを含めたすべての外国人に入国禁止の措置を取った。マリオは日本に居所を持ち、もちろん日本に納税し、保険にも加入しているのに。このマリオが受けた差別が原因のひとつとなって、マリオは日本女性と離婚した。
やっと帰ってきた久しぶりの日本で、彼は新宿を歩いた。ゴールデン街、馴染みの店。だけど、風花の扉は閉じられていた。マリオが訪れたのは緊急事態宣言中に店を閉めていた風花だった。
「MoonSoon、変わらず過ごしている?紀久子さんは元気ですか?」と、マリオから連絡があった。「ひさしく会っていないよね」「会いたいですよね」そんなやりとりを何度かかさねて、再会の場は、営業を再開した風花になった。その再会に際してマリオは撮影をしよう、と言う。
撮影…? マリオはしばらく写真からは遠ざかっていたはずだった。彼の創作の関心は写真から絵画の制作に移ったのだと思っていた。それが、十年振りの風花での再会の場で、わたしを撮るというの?
ひとは、じぶんの出生を自身で選択することができないのに、たった一度きりしか生きられない。わたしはもうじぶんの生を否定はしていないけれど、いつもずっと、わたしがわたしでなかったなら、どんな人生だったのだろうと考えずにはいられない。マリオはわたしのその欲望を感じ取っていた。だから、わたしはマリオの誘いに乗って、レンズ越しの世界で、わたしではない、べつのだれかの生を生きることにしたのだ。
ほかでもない、風花というステージがこのシリーズの最初の場だったのは、まさに feel like home だったからだ。わたしは、とても安心して、それに続く撮影も、一つひとつ物語を描くように、時間をかけて、マリオと文学や映画や音楽について語りあってつくっていった。
これは、わたしであって、わたしではない。
多くの作家が風花で経験したこと、あるいは風花を舞台に描いてきた作品のように、風花という場を媒介に、マリオとわたしがつくりだした、夢でも現でもない、もうひとつの世界だ。
参考へ:
大江健三郎と私 Me and OE Kenzaburo
https://art-culture.world/articles/kenzaburo-oe-kenzaburo-大江健三郎/
Literatur Abend @ KAZAHANA 風花. NAKAGAMI Nori 中上紀, KARATANI Kojin 柄谷 行人
Literatur Abend @ KAZAHANA 風花 NAKAGAMI Nori 中上紀, KARATANI Kojin 柄谷 行人
Literatur Abend @ KAZAHANA 風花 NAKAGAMI Nori 中上紀, KARATANI Kojin 柄谷 行人
参考へ:
日本人、外人、行人。柄谷と俺 KARATANI KOJIN
https://art-culture.world/articles/karatani-kojin-柄谷行人/
Actually I’m extremely busy, will later do the up-date 現在、非常に忙しくて、近い将来、アップデートされますが。