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地震の悲しみ (神戸市) 1995 The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995

地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #2
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #2

Today, exactly 24 years ago on January 17th, 1995 at 5:46 a.m., the southern part of Hyogo Prefecture in Japan had been hit by an earthquake. It lasted 20 seconds and registered as a magnitude 6.9 (7.3 on the Richter scale). Up to 6.434 people lost their lives, about 4.600 of them were from the City of Kobe.

Internationally remembered as the “Kobe Earthquake”, where 43.000 suffered injuries and 689.000 buildings had been destroyed (incl. minor ones), – later re-named as the “Great Hanshin-Awaji Earthquake” 阪神・淡路大震災.

Because of the tragedies I experienced (on the spot 1995, plus 1 year later, post-traumatic stress disorder by local people (+ me)), I’m refusing to share my memories about this, partly human-made, tragedy. However, as I could enter Kobe via helicopter on the 19th, I would like to point out to these 5 suggestions, for (future) consideration.

1) It is necessary to have enough water supply for the people in the damaged region.

2) Firefighters shall use natural water, sea water, river water and wells.

3) People with cars don’t obey law in case of an earthquake. Therefore it is necessary to regulate traffic in the strictest way possible.

4) Further on, everyone should know where goods (gruel and milk powder!), related to disaster response, are being stored.

5) Last, telephone and internet access should be granted to everybody for free.

Tokyo, HEISEI 31, January 17th
Mario A 亜 真里男

地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #1
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #1
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #2
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #2
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #3
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #3
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #4
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #4
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #5
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #5
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #6
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #6
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #7
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #7
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #8
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #8
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #9
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #9
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #10
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #10
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #11
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #11
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #12
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995, #12

Mario A 亜 真里男
地震の悲しみ (神戸市) The Sorrow of the Earthquake (City of Kobe) 1995.
For further information regarding this edition work, contact via info (at) aozoramimi.com


up-date, today’s news from NHK

阪神・淡路大震災から24年 遺族らが黙とう 犠牲者を悼む
2019年1月17日 18時58分 阪神・淡路大震災24年
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で24年です。神戸市など大きな被害を受けた地域では、夜になっても犠牲者の追悼行事が続いています。
神戸市中央区の公園、「東遊園地」では、およそ5000本の竹の灯籠に明かりがともされ、地震が起きた午前5時46分に遺族や被災した人たちが黙とうして犠牲者を悼みました。

敷地内の慰霊碑の前では、神戸市長田区の自宅で被災し3歳と1歳の弟2人を亡くした柴田大輔さん(31)が、追悼のことばを述べ、「弟たちのような犠牲者が出てほしくないという思いから、私の震災の体験を語っていきます」と話しました。

「東遊園地」での追悼のつどいは夜に入っても続き、神戸市によりますと、午後5時までに3万3000人が訪れました。去年と比べて8000人多くなっています。

また、ことしは初めて東京にも追悼のつどいの会場が設けられました。日比谷公園の小音楽堂には「1.17」の形にろうそくが並べられ、神戸から運んできた「希望の灯り」を分灯して明かりがともされました。

会場では地震が発生した時刻から半日後となる午後5時46分神戸と同じタイミングで集まった人たちが黙とうをささげました。

実行委員会の藤本真一委員長は、「思った以上に多くの人に来てもらえてうれしい。東京で生活する働き盛りの世代が集まり、つながる場所になればと思う」と話していました。
バケツリレーの経験つなぐ
阪神・淡路大震災で住民たちがバケツリレーをして火事の火を消した経験を語り継ごうと、神戸市の小学校で防災訓練が行われました。

神戸市東灘区の御影小学校では震災で火事が起きた際、住民たちがバケツリレーをして川などから水を運び、火を消した経験を語り継ごうと、毎年1月17日に防災訓練を行っています。

17日は、3年生と4年生のおよそ220人が列を作って並び、水をこぼさないように声を掛け合いながらバケツを手渡していきました。

参加した4年生の男の子は「バケツリレーは力を合わせてやることが大切だと思いました。地震が起きたら落ち着いてみんなで力を合わせて行動します」と話していました。
芦屋市の小学校で追悼式
阪神・淡路大震災で8人の児童が亡くなった兵庫県芦屋市の小学校では、児童や遺族らが慰霊碑に黙とうをささげました。

芦屋市では、24年前の震災で、精道小学校の校区内にある建物のうちおよそ7割が全半壊し、当時、小学校に通っていた児童8人と保護者6人が亡くなりました。

毎年、1月17日には追悼式が開かれていて、17日は全校児童およそ650人と、亡くなった児童の遺族などが参列し、校庭にある慰霊碑の前で黙とうをさげました。

続いて、当時、小学4年生だった兄の須賀晃弘さんを亡くした宮下恵里子さんが追悼のことばを述べました。

この中で、宮下さんは「当時5歳だった私は、地震は怖いとずっとおびえていました。亡くなった兄のことは今でも大好きです。皆さんも尊い命を大切にしてください」と語りました。

このあと、6年生の岩田菜央さんが「震災で家族を亡くした人の思いを忘れずに、今後も語り継いでいきたいです」と応じました。

児童たちは、折り紙で作った手作りの花を順番に献花台に供え、静かに手を合わせていました。
菅官房長官「震災の教訓もとにしっかり対応策を」
菅官房長官は午前の記者会見で「阪神・淡路大震災によってお亡くなりになった方、けがをされた皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。非常に悲惨な地震だったが、震災の教訓をもとに耐震が強化された部分は数多くあったと思う。日本全体として防災に対しての対応策をしっかりと講じていきたい」と述べました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190117/k10011780871000.html