東京アートシーンの中心、MUJIN-TO / FUJIKI Rikaに所属しているChim↑Pom @ 歌舞伎町 Tokyo's art scene, MUJIN-TO / FUJIKI Rika's artist group Chim↑Pom @ KABUKICHO
Several hours ago, everyone got drunk from partying in deep Kabuki-cho, where only Japanese decadence rules and Japanese culture flourishes.
While still having a hangover, I’ll put these pics up, for your and our entertainment. Tokyo’s art scene came together to celebrate Chim↑Pom’s latest performative practice. I can’t remember that fucking name of the event and place, as we searched around for hours in Kabuki-cho, which really doesn’t matter, because we had our fun and got all drunk and horny. Even the police came to participate. (lol)
Mujin-to/FUJIKI Rika’s artist’s group Chim↑Pom brought several emerging artist’s performances together, which could translate into pic-ups by young gallerists and attending curators. Tokyo’s creative, edgy art scene at its best.
(8:49 min)
奥深い芸術論を聞いている。マリオAと阿部謙一に挟まれて。Chim↑Pom ニンゲンレストラン。
(courtesy facebook TOMINAGA Goso)
up-date:
バイクでナポリ→東京!憧れロサリア・イアゼッタ教授:究極のソーシャル&アーティスティック・スカルプチュア、無国境と無恐怖の世界を見せる
Napoli-Tokyo by bike! The ultimate social & artistic sculpture by admirable Prof. Rosaria Iazzetta, showing us a world without borders and fears
https://art-culture.world/articles/rosaria-iazzetta-napoli-tokyo/
Up-date 2019/10/10
On 2019/10/9 this contribution had suddenly got a lot of attention. One video work “KI AI 100” by Chim↑Pom in the context of “Fukushima” (in 2011) and the Aichi Triennale 2019 had been quoted out of context, therefore criticized. For the record, I am posting the response which I found.
“KI AI 100” is, a.o., in the collection of the Museum of Modern Art, Tokyo and the Mori Museum, Tokyo.
Chim↑Pom 「気合100連発」は震災直後に文字通り現地の若者たちとアドリブで気合いを入れるムービー
に関して。
1979年6月のTBS『ザ・ベストテン』で、映画『太陽を盗んだ男』のために作られた東海村原発内のプルトニウム貯蔵庫を模ったセットから、主演の沢田研二の歌唱を生中継した際の動画。
あの映画のシーンとシーンの合間に、このような主役の歌手活動が連日のようにあったのか。
1979年6月のTBS『ザ・ベストテン』で、映画『太陽を盗んだ男』のために作られた東海村原発内のプルトニウム貯蔵庫を模ったセットから、主演の沢田研二の歌唱を生中継した際の動画。
あの映画のシーンとシーンの合間に、このような主役の歌手活動が連日のようにあったのか。pic.twitter.com/n7KyKXeozM
— #NoWar(人民)HiroshiHootoo (@HiroshiHootoo) October 8, 2019
ツイッター上で、皮肉や二重否定、アンビバレンツな言葉が伝わらなくなるのが、ここ10年代の傾向だった。まだ9年しか経っていないのに、チンポムの「気合100連発」の意味が全く通じなく、平坦に捉え不快だという感情を放つおバカさんだらけになった。宮台のいう感情の劣化なのか、とにかく酷い。
ツイッター上で、皮肉や二重否定、アンビバレンツな言葉が伝わらなくなるのが、ここ10年代の傾向だった。まだ9年しか経っていないのに、チンポムの「気合100連発」の意味が全く通じなく、平坦に捉え不快だという感情を放つおバカさんだらけになった。宮台のいう感情の劣化なのか、とにかく酷い。
— intellipunk (@intellipunk) October 10, 2019
これも本当に不思議。東北の被災者を揶揄しバカにする作品であると本気で思っているなら、なんで拡散するんだろう。だって美術館に展示するのもダメなんでしょう?なのにソーシャルメディアで拡散するのはなんでオーケーなの?変じゃない?
これも本当に不思議。東北の被災者を揶揄しバカにする作品であると本気で思っているなら、なんで拡散するんだろう。だって美術館に展示するのもダメなんでしょう?なのにソーシャルメディアで拡散するのはなんでオーケーなの?変じゃない? https://t.co/QsDcNun4HI
— 想田和弘 (@KazuhiroSoda) October 10, 2019
震災後の日本社会の失語症的な状況の中で制作されたことも重要だった。「こどももおとなも考える」展の報告書にも書いたが、すべてが「ベタ」に捉えられ意味の二重性というコンセプチュアルアートの基本が共有されない状況。繋ぎ手である美術館やキュレーターにとっての深刻な危機だと思ってます。
震災後の日本社会の失語症的な状況の中で制作されたことも重要だった。「こどももおとなも考える」展の報告書にも書いたが、すべてが「ベタ」に捉えられ意味の二重性というコンセプチュアルアートの基本が共有されない状況。繋ぎ手である美術館やキュレーターにとっての深刻な危機だと思ってます。 https://t.co/T69nQKTnDN
— ton yabumae (@ton0415) October 8, 2019
芸術は言葉を引き出す力を持つものですから、批判ももちろんアリですよ!ただ作品を見ないでの批判のほとんどは的外れで、その議論からは何も生み出されない。現状みんなが見ることができないのが歯がゆいですね。
芸術は言葉を引き出す力を持つものですから、批判ももちろんアリですよ!ただ作品を見ないでの批判のほとんどは的外れで、その議論からは何も生み出されない。現状みんなが見ることができないのが歯がゆいですね。
— ton yabumae (@ton0415) October 9, 2019
僕の知ってることをとりあえず書いておく。
チンポムはまだ被害の爪痕生々しい津波被災地に行き、地元の若者と出会い、一期一会的だったかもしれないが、人間関係を築いた。そこでこのビデオ作品を作ることを思いつき、提案し、相手はやりたいと言った。順番に叫ぶ言葉は自由、とっさのアドリブ。その中で地元の若者は自虐自嘲的なことも、アイロニカルなことも叫んだ。しかし無編集のまま、スタートの1から最後の100まで全部見せることにした。一期一会のリアルを大切にして。ちなみに、これが「不自由」になったのは、内容の細部ではなく、政府絡みの機関である国際交流基金がやる海外の展覧会に、ある時期(今も?)「東北の震災と原発事故を扱った作品は一律禁止」というお達しが出たことによる。
僕の知ってることをとりあえず書いておく。
チンポムはまだ被害の爪痕生々しい津波被災地に行き、地元の若者と出会い、一期一会的だったかもしれないが、人間関係を築いた。そこでこのビデオ作品を作ることを思いつき、提案し、相手はやりたいと言った。順番に叫ぶ言葉は自由、とっさのアドリブ。(続く https://t.co/WiUmw6ayGs— 会田誠 (@makotoaida) October 9, 2019
ちなみに、これが「不自由」になったのは、内容の細部ではなく、政府絡みの機関である国際交流基金がやる海外の展覧会に、ある時期(今も?)「東北の震災と原発事故を扱った作品は一律禁止」というお達しが出たことによる。
— 会田誠 (@makotoaida) October 9, 2019
TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』(平日22時~)
新世代の評論家・荻上チキがお送りする発信型ニュース番組。
2019年10月10日(木)のオープニング
芸術祭「あいちトリエンナーレ 」の「表現の不自由展・その後」で物議を呼んでいる映像作品「気合い100連発」。
作品の全音声とともに、Chim↑Pomのリーダー・卯城竜太さんに制作意図を聞きました。
https://www.tbsradio.jp/418202
S.T.
Chim↑Pomの《気合い100連発》がどうのこうの言われているけどDVD持ってるので言わせてもらえば、あれはChim↑Pomのアートの傑作だと思うよ。ただし現代アートを日頃観てない人が観たら反感もつのも自然だと思う。それほどきわどいところで活躍してるのがChim↑Pomだから。一般に現代アートは観てすぐわかるなんてことはなくて、観るためになにをしてきたか、さまさまな経験のつみかさねのうえにあるものだと思う。現代アートが美しさだけで語れない理由です。もちろん美しくなければアートでないが、その美はビジュアルだけにかぎらなくコンセプトや方法論のような抽象的ものでもありますね。で、観賞者はその域に達して初めて現代アートがたのしめ、わかるようになるをのだよ。そうなるためにはともかく観ること、そして情報を得ることが一番。また身銭を切って作品を買うことです。そしたら何が現代アートとして良いものか自分なりの判断が身につきます。これを審美眼といってもいい。ハウツウを知ったら分かるなんてものではありません。アーティスト同様に観る側も努力が必要ですね。そのうえで、現代アートは誰かがアートだといえばそれもアートでしょうが、観る側によってはとてもアートといえるものでないものもたくさんあります。そのあたりの見極めが肝心で、まさに不自由展がその良い例だと思いますよ。このところ脚の調子がわるく遠出ができず悔しくて思いをするなかで振り返ってみた次第です。
―
M.S.
「愛知トリエンナーレ。チンポムの気合い100連発批判に思ったこと…」
皆さんや私のような現代アートにドップリ使っている人間たちのアイデンティティを、一般の方々に押し付けても、まるでチンプンカンプンな話だと思います。アートは知的なゲームなので、ルールも見方も分からない方々からの反発は甘んじてうけるしかないと思います。理解を求めるのではなく、ひたすら芸術だと高飛車に出る分でも無く、未知の世界から来た異物だと、理解不能なものだと思って貰うしか道は無いのかなと思っています。
自分たちの価値観から大衆の反応に反発する現代アート界の住民たちの狭い了見にはつくづく嫌になってしまいました。
現代アート界の常識は大衆から見れば非常識なのです。